パイを焼く

今朝,赤い箱に入った丸いチーズケーキを2つもらった。どこかの冷蔵庫に入れたはずだが,見つからない。

私は,自習室の冷蔵庫を開けた。自習室にも冷蔵庫があるのだ。開けて初めて思い出したのだが,人にあげるつもりで作ったパイが古くなっていた。形はかろうじておかしくはないが,食べるのには適さないだろう。マロンのパイ,乾燥ラズベリーのパイ,アップルパイ,スミレの砂糖漬けが乗ったパイ……。私はなぜこんなにたくさんのお菓子を作って,誰にもあげないで冷蔵庫にキープしていたのだろう?自習室ということは,勉強中の友人にでもあげるつもりだったのだ。

このパイはどうにか処理しなければいけない。気は重いが,放っておいても事態はよくならないのだ。

それは分かっているが,ひとまず私は冷蔵庫をそのままに扉を閉めた。チーズケーキまで腐らせるわけにはいかない。あれは,今朝私に宛ててどこかから届いた高級品なのだ。2つのうち1つは,少し味見したが,とてもおいしかった。どこか別の冷蔵庫にあるはずだ。

**が丘生花店

その生花店の店主は,印象のない女の人だったが,店の奥の部屋にいつも座っている先代が魔女であることはみんなが知っていた。

店は,清潔で明るい白い壁でできていて,周りにはきらきらした水場があった。花を買うお客も来るけれど,花を買わない者がうろつくのもかまわなかった。

そして,その店は魔女の店であるから,お客も風変わりであった。そんなに広くはない応接室がいっぱいになるくらいの巨大な衣装を着た吸血鬼が,今日の珍しいお客であった。もっとも,店にとってはいつものことであったのかもしれないが。

吸血鬼は男で,その妻がお伴していた。吸血鬼の奥様は小柄な女性で,歳のころは,魔女と同じくらいによく分からなかった。老女といっても差し支えなかろうが,本人はそう呼ばれるのは気に食わないだろう,という雰囲気であった。

吸血鬼が買いに来たのは,オレンジ色の薔薇であった。棘があってたくさんの花がついている。その花を持てば人の妬みや恨みを集める厄介な花だ。しかし,吸血鬼にとっては何かの必要があるらしかった。

吸血鬼の奥様は私を見ると笑顔で近づいてきた。「どうぞ」と花を差し出される。子供のような振る舞いに,不思議と,見た目との齟齬はない。私は断るのに難儀していたが,一本受け取ってしまった。棘がたくさんついていて,花弁はまっすぐ,あざやかなオレンジ色の薔薇である。

そこへ,普段は奥の部屋にいる魔女が現れた。白い廊下を音もなく歩いて。

私の手から薔薇をとりあげながら,「気にしないで。大丈夫,分かるでしょう?」と彼女は言った。「はい,分かります。私は……」